こんにちは、岐阜のハッピーホーム後藤工務店 後藤です。
工務店の4代目として生まれ、今日にいたるまで色々あって今があります。
今日はそんな私が建築を始めて感じた3つのことをお話しします。
① 大学卒業後、ゼネコンで〇〇〇〇
工務店の跡取り息子なのですが、大学を卒業した後は「まずは社会勉強を」という事で住宅よりももっと大きな建物を造っているゼネコンに入社しました。
現場監督として鉄骨造のアパートや大きな結婚式場の建設に携わったのですが、現場監督とは毎日朝から晩まで現場敷地内の現場事務所を拠点として、大きな現場を毎日歩き回っていろんな仕事をします。
夜遅くまで現場事務所で施工図面を書く事も多いですし、夜9時10時でも現場に電気をつけて作業することもありました。工期が短い現場はそういったものだったんですね。
なので独身の若い現場監督は現場近くのアパートなんかに住み込むんですね。
私も朝アパートを出て夜10時、11時にアパートに帰る、寝に帰るだけという時期も長かったです。
それが普通だったのですが、大きな仕事で右も左も分からない中、探りながら叱られながら覚えるという感じがきつかったのを覚えています。
仕事は大変と感じていました。
② 〇〇〇〇を経験した後で一から○○修業?
当時、後藤工務店の社長であった父が体調に不安が出てきて、「跡を継ぐつもりなら俺が教えられる内に」という事で、現場監督を3年足らずで辞めて後藤工務店に入社しました。
現場監督の仕事は「品質管理、工程管理、安全管理」が主な仕事でたくさんの業種の職人さんの調整をするという、管理側の仕事です。
そんな事を覚えていざ帰ってきたら、社長曰く「大工仕事も覚えてこなせないと大工さんと話ができんからな」と負う事で、まずは「ノミ研ぎから」と。 「えっ…!」でした。
でも木造住宅のことも一からだったのでそれに従って、昼間は大工仕事を大工さんに教わり、材料の運搬をしては現場を観察して、建物の申請業務は知り合いの設計士さんから、その他諸々を社長からと、いろんな角度から教わることが出来て、面白いと感じながら現場監督の時より健康的に過ごしていました。
ただ、1、2年すると社長から「もうお前の代だから仕事もお前がもらってこんとなー」と。
「えっー!まだ木造住宅の事、少ししか分かってないんですけど(汗) もらってくるってどうやってー!?」
社長曰く「一軒一軒自分の足で回って聞いてみ。 おー、よく来てくれた、という人がいるから。」と。
「なんという無茶ぶり(汗)」と思う反面、それをさせる意味も何となく理解し、真夏の暑い中スーツを着て手作りのチラシをもって本当に一軒一軒回ってましたね(笑)
でも世の中はそんなに甘くなく、自社の位置や自分の価値も突き付けられ「これは大変なことだ」と感じながらプレッシャーを感じながら過ごした30代でした。
③ 思い切って〇〇をしたら、会社経営が…
大工仕事も覚えてきた30代中盤となると、社長から「若い大工さんを採用してお前が教えていくようにしんとな!」
「えーっ! そもそも大工さんの人数に対して仕事が少ないから休みも無く営業廻りしとるのに... そりゃ覚えては来たけど、、、
お客様対応と設計と見積りと現場管理をしながら、見習いの大工さんを一人前に育てる程の事まで出来る訳が、、、
5人ですら多いのにこれ以上大工さん増やしてどうするの? 」
今と違って当時は大工さんの仕事は本当に難易度が高くで、それを若手に正確に伝えていくのは大変でしたし、5人の社員大工さんの仕事を切らさずに回していく中で、力が無かったばかりに身も心も限界に達していました…
そんな中、幸いにも人との出会いによって私の考えも変わってき、と言うか変えざるを得ないところまで行きついてしまい、
「お客様の家を建てるのだから、会社のこれまでの歴史や体制を継続することにこだわらず、お客様が本当にほしいと思う家を建てられる体制にしよう。」と舵を切ったのが40代中盤。
会社の体制を時代に合わせたことでお客様のご要望に丁寧に対応していく事が出来る様になりました。
有能でお客様思いのスタッフと頼りになる協力業者さんと素敵なお客様、
そして家族に支えられて、
心に余裕が出来たことでお客様の喜びもたくさん感じられ、今が本当に楽しいです。
もっともっと感動していただける家をと思っています。
ハッピーホーム後藤工務店ではお客様の「好き」をお聞きして、それをカタチにしています。
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楽しく暮らしてほしい
ハッピーホーム 株式会社後藤工務店
代表 後藤健太郎
岐阜県海津市海津町外浜84-1
TEL 0584547588